客家の土楼

中国は福建省永定にある客家の土楼を訪れることができたので簡単に紹介いたします

地図 承啓楼 振成楼 道中
「客家」とは:
 「客家」(ハッカ)はもともと黄河流域に住んでいた漢民族が戦争等を避け安住の地を求め南方に移住して来た人たちである。移ってきた人たちは未開の丘陵地を開墾し住み着くようになった。この人たちは既に周辺に住んでいた人たちからはよその人という意味合いを込め「客家」と呼ばれるようになった。すでに1000年の歳月を経過したという。現在、客家の人たちは世界中に偏在しているが、東南アジア、香港、澳門、台湾には特に多い。ハッカとは福建省南部の言葉(みん南語)の発音であり、標準中国語ではkejiaと発音する。

「土楼」とは:
 南下した人たちが主に住み着いた地域は福建省南部や広東省で、特に福建省永定を中心とする地域には特徴的な居住スタイルである土楼が発達した。この地域は建築資材も乏しく、また盗賊や猛獣も多かったため、外敵から身を守るため、外側を土壁で覆った、外から侵入しにくい円形(円形土楼)あるいは方形(方形土楼)などの土楼を作って、一族がまとまって住んだ。円形の土楼は建物が同心円状に、二重、三重になっている。外側の建物は建物全体を守る城壁のような役割をはたしており1-2階の外側には大きな窓はなく、また全体で何カ所かの門で外部と厳重に仕切られている。1階は台所(厨房)と食堂、2階は食料等の倉庫、階上は居室になっている。現在に至るまで、ここに住む客家の人たちはこの居住形式を守ってきた。

参考資料:
・中国旅遊彩色文庫 福建遊 香港中国旅遊出版社 1994年版
・中国永定客家土楼 永定県旅遊産業発展委員会編
・土楼与客家 永定県博物館編

右は永定の土楼案内書表紙写真
写真右下の大きい圓楼が「承啓楼」
土楼を訪れる:
 我々一行10人(+ドライバ)は2001年7月18日午前8時にアモイのホテルを出発した。途中で1回トイレストップを入れ、土楼近くには適当な食事場所がないとのことで、11時半ころには途中の食堂で早めの昼食をとった。
 我々の最初の目的地は永定の「承啓楼」であったが、その近くまで来たらしいときに、確認のため土地の人に聞いたところ、この先は土砂崩れで通行できないとのこと。はるばるやって来たが土楼を見ることはできないのかとも思ったが、その土地の人が、20元を払って自分を載せていけば、別の道を案内できるというので、我々はそうすることにした。来た道を引き返すこと約1時間、横道に入り直した。見るとそこには「土楼はこちら」という案内標識があった。なんとドライバがこの標識を見落としていたのであった。ちなみにこのドライバはこの地区へ来るのは初めてだったそうだ。もちろん道路地図はもっていたが。。。およそ30分で目的の土楼へ到着した。時刻は午後2時を過ぎていた。
承啓楼 所在地:古竹郷高北村。
 永定で一番大きく「圓楼之王」と呼ばれている。付近にはおよそ100の円形土楼が群集している。以前に米国の偵察衛星からミサイルの発射サイロ群ではないかと誤認されたとか。
直径73メートル、4階建、同心円状に建物がある。中心は祖廟があり、中に住む数百人のための婚、葬、喜、慶事の場所もある。1階は厨房と食堂、2階は農作物の倉庫、3-4階は居室である。外壁は土で作られているが、内側は木組構造である。外との堺である門は三カ所のみ。1709年に初めて建てられた。最盛期には80戸600人が居住していた。
 我々は入口で見学料10元/人を払い、中に入る。そこにいたおじいさんに説明をお願いした。気持ちよく引き受けてくれた。おじいさんの話し言葉は意外にわかりやすく普通語に近いものと感じた。現在もここでおよそ300人が生活をしているとのこと。四階まで登ってみることができた。ここから見下ろせば、この住居の形式としての特異性がはっきりと認識できる。1階の厨房の近くには豚などを飼っているし、居住地区でも廊下に大きな瓶の中にウサギを飼っていたりして、人畜がいっしょに生活している様がうかがえる。円楼の外に出て、隣接する方形土楼と両方を見上げるとなにやら幾何学的な形が浮かび上がってくる(圓方一線天)(写真)。現実に居住している自分たちの「家」を見せてくれた人たちに感謝し、次の土楼「振成楼」へ向かった。
振成楼」 所在地:洪坑村 
 1912年に完成した四階建て二重円楼。全体が8区画に分かれ、8カ所に階段、8カ所の井戸があり、八卦楼とも呼ばれている。永定客家土楼民族文化村にある。

 永定客家土楼民族文化村にはこの他、如昇楼、福裕楼などがあり、あわせて四つの土楼の見学料が40元。ガイド料は別途のようだ。ここには四層の居室部分に宿泊も可能で一泊30元。
 我々は、宿泊予定のホテルへは暗くなると危険が伴う可能性があるため日没までに着きたいとのドライバーの強い主張により、他の三つの土楼の見学は断念した。

永定のホテル「永定賓館」に到着したのは18:30だった。
参考
交通 アモイから承啓楼まで車で4−5時間。走行・道路状態により異なる。今回、何カ所も土砂崩れの場所を見かけており、程度がひどくなれば、通行止めになる可能性は高い。永定には鉄道が通っており、アモイまたは広州などから列車を使い、永定から車を手配する方法もあると思われる。
地図(略図)
承啓楼 振成楼 道中
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